聖武天皇が諸国に命じて、国分寺、国分尼寺を創立させたのと同年の天平13年(741)、 同じく聖武天皇の勅願道場として創立。
弘仁7 年(816)に弘法大師がこの地を訪れ、等身大の千手観世音菩薩を刻んで本尊として、両脇侍に不動明王と毘沙門天を安置した。
これは観世音菩薩の功徳と不動明王の威力、毘沙門天の授福にあやかるということで、焼山寺の三面大黒天などと共通した様式。
寺はその後、長宗我部軍の兵火によって焼失したが、万治2 年(1659)に再建されて現在に至る。
かつて阿波の国の中枢があった寺の周辺は、今は落ち着いた町並みとなり、昔ながらの田舎の風情を漂わせている。
宗派: 高野山真言宗
本尊:千手観世音菩薩
開基:弘法大師
創建:天平13年(741)
山号: 光耀山
札所等: 四国八十八箇所16番; 阿波西国三十三観音霊場(東部)第32番
院号: 千手院
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| 境内は、鐘楼門を入った正面に本堂、右側に大師堂、本堂と大師堂の間に水子地蔵尊が祀られている。 堂宇は江戸初期の建築様式の特徴が随所に見られ、建造物としても見ごたえ十分だ。 本堂には炎に包まれた女性が描かれた額が掲げられている。これは明治時代、淡路島から訪れた女性が雨に濡れた白衣を乾かしていた時に、焚き火が燃え移ったことに由来する。 女性はかつて仲の悪かった姑を薪の燃え残りで叩いて、いじめたことがあったというのだ。弘法大師からその戒めを受けたのだと深く反省し、この絵を奉納したという。 鐘楼門 遍路道に沿っていくと、民家の中に一際目立つ鐘楼門が建っている。和様重層の堂々とした門は風格があり、往時の繁栄を偲ばせる。 境内と外界との境を塀ではなく、寄進者の名を彫り込んだ石柱で切っているのも特徴。 鐘楼門にあった鐘楼は、戦時中に供出されたままになっており、音色を聞くことはできない。 |
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